2026_08_31
マリリン・ストラザーンについて少し調べている。イギリス出身のメラネシアなどを研究していた社会人類学者。「dividual(分割可能な人)」という発想が特に面白い。人と人との関係そのものが移動し、変形し、新しい関係を作っていく。私というものの中に他者との関係が入っている。「部分的つながり」という本が気になるので欲しい。「dividual」という分割可能な人というのは平野啓一郎の「分人主義」とも重なるが、彼はそれに影響を受けているのだろうか。
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「複数性を作っても、結局一人の作者へ回収されるのではないか」という問題に対して、「そもそも〈一人〉とは何なのか?」と問い返せるかもしれない。ストラザーンの関係性によって作者は存在するという事実から。ドゥルーズ&ガタリのリゾームなどは、一から多に向かっている印象だけれども、ストラザーンは最初の出発点が一ではないというところが違っている。
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フーコーの作者機能とストラザーンの「dividual」を組み合わせて自分のやっていることを考えると、「一人の身体を含む多数の関係から、300の異なる作者機能が生成している」というふうに考えられる。さきほどもいったけれど、ストラザーンは最初の出発点が一ではないというところが重要かもしれない。
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今のCream Soda Museumだと、やはり、最終的に中村悠一郎という一人の作者が多数の作者をうみだした、という個人神話的なものになりやすい。中村悠一郎にかなり近い名義と中村悠一郎にかなり近いやっていることを増やしていけば、最初の問題として中村悠一郎とは何かという問題提起を含むことができるかもしれない。例えば、アイデアメモをアーカイブしている「Youichiro Nakamura Ideas」とか日記を書いているこの「塩谷雄一郎」とか。
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やはり、中村悠一郎という本人に近い名義を増やしたいということで、日記を書いている名義、「塩谷雄一郎」は名前を変えて、「中村雄一郎」にすることにした。こういうような中村悠一郎に近い名義をこれから増やしていくことにしようと思っている。見る人たちはますますややこしくなると思うが、それがまたいい。
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日記だと論文のようなシビアな書き方をしなくていいから安心感がある。飛躍や曖昧な部分があっても多分許される。まあ、その分読む人も限られてはくるけれども。僕にとって重要な資料にもなると思うし、僕以外の誰か将来研究する研究者にとっても重要な資料になるかもしれない。
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「自分の中に他者が存在している」というストラザーンの理論のことを考えてみて、僕は、かなり生活的には孤立しているというか、母親ぐらいしか会う人がいない、と思ったけれども、別に今生きている人や直接会ったことのある人に限ることはないのではないかとも思った。こうして、文章を書くことによって、ストラザーンとも関係性を結んでいるし、さっきは空海のことを調べていたから関係性を結んでいるともいえる。そう考えると壮大な思考の海のようなところで新たな航路を毎日発見しているような気分になる。とても楽しい。
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自分にとって楽しいと思えることだけをやっていたい。それはまともに生きている人からしたら、ふざけているよううに思われるけれど、アーティストとしては真っ当のようにも思える。なので、あまり自分を権威化したくはない。VOCAのことはあるけれど、少しプレッシャーを感じている。楽しいことは楽しいんだけど、最終的なアウトプットを締切にしなくてはいけないというところが。
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楽しく生きるコツのようなものはなんだろう。僕の場合、ほとんど引きこもっているから、現在に目を向けすぎると辛くなるところがある。例えば、インスタで他の人が展示していたり、展示を見に行っていたり、遊んでいたりするのを見るのが辛いときがある。だから、今ではなく、もっと昔とか、自分の生まれていない時代のこととかを本とかネットとかAIを頼りに旅をしてみるのもいいかもしれない。
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あとは、自分自身に目を向けすぎないこと。自分の今の状況に目を向けすぎると辛くなる。別に引きこもっているからといって何か悪さをしているわけではないし、苦しいわけでもない。確かに気分転換できないことで、統合失調がひどくなることはあるけれども、まだまだ生きていたいと思える。
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まだ朝の4時なのに、もうこんなに日記を書いている。今日は朝2時過ぎに起きた。割と今年になってからは、早起きすることが多い。早朝の制作や執筆は好きだ。外が静かというのもあるけれど、ある種のスタートというか、今日1日でこれからの可能性に少しワクワクする時間だからかもしれない。
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世界はもうすでに十分面白いから、自分は何をするべきだろうか。確かに面白いけれども、自分にとっての面白さは足りない気もする。自分が楽しいと思えることは制作が中心だからだ。これはある種の宗教的なレベルといってもいい。制作によって心というものが救われる気持ちになる。
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こういった感じの日記のテキストをFukuoka Ichika Commonsで発表するのもいいかもしれないな。2000字ぐらいの文字数で。
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日記をたくさん書いて、解像度の高い文章を書けるようになりたい。よくnoteにあるような自分に酔っているかのようなエッセイ的な解像度の低いわかりやすい文章はあまり好きではない。確かにそっちの方がいいねとかはつきやすいのだろうけど、そもそも「いいね」というシステムが好きではないんだな。
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僕の日常はほとんどどこにも行かないし、人にも会ったりしないから、日記に「スリル」はないかもしれない。けれど、時間だけは使えるから、それなりに試行錯誤できるのではないかと思っている。試行錯誤すればいい文章を書けるのか、と言われるとそれはわからないが、少なくとも自分のトレーニングにはなるだろう。
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ちょっとFukuoka Ichika Commonsのステートメントを変えてみたい。少し目的が壮大すぎるかもしれないし、ちょっと自分でも何言ってるのかわからないところがある。
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コモンの思想についてもっと調べていきたいところがある。家に斎藤幸平と松本卓也による「コモンの自治論」という本がある。表紙の図版は岡崎乾二郎。いろんな人が寄稿するというかたちで編まれていて、面白そうだけどまだ読んでいない。
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こないだ買った坂本龍一の「B2-UNIT」というCDを聴いている。制作年は1980年。YMO時代の電子音楽的で、かなり尖った実験的なことをしている。ギュウギュウ、キイキイいったりしていて、決して心地いい音楽ではないけれども、とても面白い。
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8月にかなり統合失調の具合が悪くなった。フェイスブックにその投稿をしたら、ダンサーでアーティストのAokidさんが「休むのはどう?」って言ってくださって、休むことにした。スマホやパソコンがあると、ついついSNSを見ちゃったり、何か制作してしまうから、母に預かってもらった。10日ぐらい制作からは離れていた。その間暇だったので、ポータブルCDプレーヤーを買ってCDを聴いていた。CDだと物理的にアルバムという、他のアルバムとの切断性があり、その時聴いているアルバムに集中できる。同じ曲だったとしてもスポティファイとかと全然違う音楽経験になる。僕はそれからCDをわざわざ買うようにして、プレーヤーで聴いている。
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ついつい、日記を書いてしまって、制作がなかなかできない。日記も制作ではあるのだが。VOCA用にあと66名義新旧含めて名義と作品を制作したい。自分の中の感覚として、アイデアメモが日記と制作の間にグラデーションのように存在していて、アイデアメモを書くと制作脳が働くというか。
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明日から0 km Residencyが始まる。正直言って何か変わるかといわれるとどうかわからない。けれど、自分自身の認識を少しでも変えていかないと、このままだと行き詰まる予感がする。0 km Residencyとは、自分の家をレジデンスとして考えるある種の考え方であり、特に誰かを呼ぶわけでもないし、何か日常的にやることが変わるわけでもない。けれども、その逆転の発想というかナンセンスさが気に入っている。
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突然だけど、「見せかけ」について。通常の「見せかけ」は、「外側=見せかけ」「内側=本物」という構造を想定している。しかし、ジュディス・バトラーのパフォーマティビティの理論によれば、振る舞うことの反復が見せかけを本物らしくする。バトラーによれば、「行為を行う主体そのものが、その行為の反復によって成立している」と考える。つまり、「主体 → 行為」ではなく、「規範 → 行為 → 反復 → 主体らしさ」ということになる。何かに使えそうだなと思いメモとして残しておく。
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たとえばどうしたら「美術館」をつくれるか。そもそも「本物の美術館」は何によって美術館になっているのか?「収蔵する」「展示する」「分類する」「保存する」「権威づける」といった行為が繰り返されることで、「美術館」という制度が成立している。であるから、架空の美術館だったとしても、それらの行為を反復し始めると、「本物/偽物」の境界が怪しくなってくるのである。
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いくつかVOCA用の名義ができた。一つのことだけに集中しようとすると、逆にその一つのことができなくなるときが多いように感じる。別のことをやっていると自然と本題であることをやるやる気のスイッチが入ってできるときがある。
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こんなことを書いてみたけど、あまり日記を自己啓発的なものとして書きたくはない。自己啓発というとやはりマッチョさと切り離せないからだ。
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「アーティストでもある美術館を制作するアーティストとしての美術館」という美術館名義をつくった。
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ジャック・デリダにおいて、脱構築の対象となっている二項対立として、「言語(パロール)/文字(エクリチュール)」がある。つまりエクリチュールよりもパロールの方が優れているという前提をひっくり返し、エクリチュールがパロールを成り立たせているという事実を明らかにし、さらに宙吊りにする。僕は生活において、「人に会って話すこと/人にメッセージを書いて送ること」を脱構築しているかもしれない。人とメッセージでやり取りする方を逆に人に会って話すことよりも一旦普段重視しているが、やはり人に会うことも大事とも思っている。
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まだまだ日記として自分の文章は硬いなと感じる。別に柔らかければ柔らかいほどいいというわけではないが、千葉雅也の「ツイッター哲学:別のしかたで」のように、思想性と柔軟性のある文章が書けたらいいのになと思う。
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早く明日にならないかな。この日記のウェブサイトを早くつくりたいと思っている。
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缶詰デモクラティックバンクというものを思いついた。缶詰を使った経済圏を構想するポストアーティストをカンヅメコノミーとして、去年発表した。それもまあままいいアイデアだと思ったけど、さらに発展させるために、ヨーゼフ・ボイスの直接民主主義的で誰しもが創造力を発揮できる社会としての「資本=芸術」という考えで構想されていた「デモクラティックバンク」というアイデアを参考にして、缶詰デモクラティックバンクというアイデアを考えた。
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蓮間有一郎名義でやるのもいいかもしれないな。
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僕は経済人類学的なアイデアを考えるのは結構得意かもしれない。やはり贈与論とかそういう系の本をたくさん読んできたというのもあると思う。あとは何年もかけてアイデアを色々考えてきたというのも。
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住所を作家にするというアイデアを思いついた。最初、バーチャルオフィスを契約するというアイデアを思いついたけれど、毎月いくらかお金がかかるので、門司港の物件をたくさん持っている池上さんの空き物件がないか聞いてみた。すると、神崎くんという建築家でダンサーの友達が改築した小屋の物件はどうかと提案され、そこにすることにした。住所は航空写真からでもよくわからなかったので、池上さんに今度調べておいてもらうことにした。