2026_09_03
8月28日から日記をつけはじめて、もう合計で3万字を超えていた。ちょっと毎日書きすぎかもしれない。ハードルが上がると続けづらくなるから、全く書かないとかほとんど書かない日があってもいいと思う。
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まだ夜中の2時だ。さっき起きたばかり。コーヒーを飲みたいけど、やめておこう。
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引きこもっていても活動はできる。Yuichiro Nakamura Smartphone Photosとかも僕的には続けたらすごく面白いと思うが、昔は、めちゃくちゃいろんなところに行って活動していたから、そのことが懐かしいと同時に、それが羨ましいというか。
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Y・N Museumというウェブサイトをつくりたい。今まで、2000枚以上セブンイレブンでドローイングをスキャンしてきた歴史があるから、そのデータを何か有効活用したいと思っている。前まで、Y・Nでインスタグラムをやっていたけれど、大量にアップしなくてはいけなくなるのが辛くなってやめた。やはりこれは、本とかウェブサイトが向いている。
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日記をつけているアーティストは、誰がいるだろう。真っ先に思いつくのは、うらあやかさん。そういえば、ZINEを買ったけどまだ届いていないな。アートセンターBUGでやっていた展覧会「同伴分同態」の本とZINEが家にある。その中に日記がメンバーの日記が書かれている。
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あとは、前にもいったけど、哲学者の福尾匠さん。アーティストではないけれど。ウェブサイトで日記を公開している。
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意外とnoteとかで日記を時々つけているという人は多いんじゃないかなと思う。
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最近は、A4横の色のバックにタイポグラフィがバーンと中央にある画面構成でインスタとかの投稿をすることが多いが、受けが全くよくない。かといって、別に活動写真をあげる気もないというか。というか活動写真がない。
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Y・Nのウェブサイトは去年一回つくった。けれど、ドメインがyndrawing.netだった。それを解約申し込みを解除して使っても内容的には一緒だけど、ynmuseum.netとかynmusuem.orgとかにしたいから新しくつくり直す必要性があるな。
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カレーライスギャラリーのサイトも他のサイトと同じようなメニューが既存のフォーマットじゃない、リンクをただトップに持ってくるだけのサイトにしたいと思っている。トップというかホームに「It Must Be Too Late」のサイトのように、日本語と英語の両方のページに進めるような感じにもしたい。
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「It Must Be Too Late」は来年3月までアップすることを中止するという宣言をインスタで宣言した。VOCAに集中したいからだ。結果、全くVOCAに集中できていないけれど。別に何かやってもいいけれど、新しい作品をつくりたいから、ちょっと負担が大きい。
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マルクス主義は興味があるけれど、少し弱いなと思うところがある。もちろん全員ではないけれど。それは、国家の力を揚棄するようなアナキズム的な側面が弱いからだ。柄谷行人のように、反資本主義、反国家主義でないといけないと僕は思う。権力に頼らない力というか。そこらへんには僕は興味がある。
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今年は、せんだいアンデパンダン展に出せなかった。統合失調で不調だったというのもあるけれど、出す内容が思いつかなかったというか。あとは、VOCAのことで頭がいっぱいだったというのも大きい。今思えば、Cream Soda MuseumのステートメントとQRコードを蛍光グリーンで印刷してアクリルつきのパネルとかで出せばよかったと思う。
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昨日はけっこうスマホを見てしまって、頭痛になった。スマホを見るとき、僕はストレートネックになっているらしく、それが原因で緊張型頭痛になりやすい。昨日はインスタもアップしたし、「Yuichiro Nakamura Smartphone Photos」もアップしたし、日記も書いたので。なるべくネットはパソコンで見るようにしたい。
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ChatGPTに、僕のインスタの投稿のいいねが少ないのは投稿しすぎなのが原因か聞いてみた。そしたら、やっぱりそれが原因なのではないかという答えだった。制作量は減らしたくない。だから、前にもいったかもしれないけれど、インスタは情報を配置するためだけに使うといいかもしれない。
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部屋にジャクソン・ポロックの手法で有名なドリッピングのペインティングがある。絵の具を筆とかで直接画面につけず垂れ流したり、飛ばしたりする手法だ。これはけっこう楽しいというか、いろんな人がもうすでにやっているkとだとは思うけれど、画面もちょっとY・Nのドローイングに近いところもあって、脳が喜ぶ。色を何色かでやってみるというのもいいかもしれない。
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そのドリッピングのペインティングはピンクで描かれているのだけれど、蛍光ピンクはスキャナーで色がでない。だからVOCA用に描いたのにスキャンもしてないし、アップもしていない。
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「解像度が高い」という言い回しを最近よく見るけれど、確かに解像度が高いと見えてくる世界が違うだろうし、できることも精度が高いものができると思う。けれど、全体的に世界に対して解像度が高すぎると気が狂ってしまうのではないかと思う。どこか鈍さが存在しないと、制作や創作というのはできないのではないだろうか。
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ポリポリという名義で、『クジラの鼻歌』という、空虚な予約と称する未来の日時を指定し、実際には何事も行わない予約を請け負うだけのサービスを前に考えた。こういうナンセンスなことが僕にとってはすごく重要というか。あとは観客との関係性を構築すると謳っているけれども、実際にはほとんどやらないっていうところが大事かな。社会的な実装にはあまり興味がないところがある。
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『ガチャむらやⅡ』を2019年いろんなところでパフォーマンスやってみて思ったのは、何回も連続してやって実際にプロジェクトとして成功してしまうと、他のことをやるのが難しくなるということだった。確かに繰り返していると強度は上がる。けれど、自分の周りの人間に周知されている自分と、僕自身がこうでありたい、自由でありたいという認識とのズレのようなものに苦しむことになる。
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そういえば昨日は『Zero-Person Performance Art Festival』だったな。観客、アーティストどっちも0人。パフォーマンス数0。要するに何もない芸術祭。あるのは告知だけ。あ、「何もない芸術祭」というのはいいな。何かに使えそう。脱線してしまった。先ほどもいったけど、こういうナンセンスなことをやりたいというか。
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中村裕一郎名義の『Yuichiro Nakamura Smartphone Photos』の写真がたまってきて嬉しい。やはりこのプロジェクトの本質は、コンテクストから切り離されることにあるような気がする。バラバラな場所・時間・文脈。Xのアカウントで「Out of Context Human」というアカウントがあったけど、それのおかしさともちょっと通づるというか。なぜ、その写真が魅力的なのか、というのは必ずしも言語化する必要性がない。ロラン・バルトの概念「プンクトゥム」とも近いのかもしれない。
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自分のiPhoneのカメラロールを見ていると、自分で撮影した写真ももちろんたくさんあるけれど、意外とスクリーンショットとか保存した画像とかもらった画像とかがめちゃくちゃ多い。それは僕がアーティストだからなのかもしれないけれど、多分ほとんどの人がそうだと思う。
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スマホでの写真撮影は、現代で最も手軽で簡単な創作なのではないだろうか。もちろん書くこととかも手軽だけど、たとえば、メモを紙に書いたとして、それをスマホで写真に撮るということも多いと思う。要するにスマホの方が便利さでいったら上位概念なんだと思う。
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書評家の永田希の「積読こそが完全な読書術である」という本に、共有図書館というピエール・バイヤールの概念が出てくる。それは本と本がどのような関係を持っているかという相関図のようなネットワークである。それもすごく面白い概念で。「積読=ビオトープ」という永田希の考え方にマッチしている。バイヤールには内なる図書館という概念も出てくるらしく、内なる図書館とは、「自分を形成している本のネットワーク」であって、今まで読んだり知ってきた本の中で形成される自分の思考体系のようなもの。
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今日はさすがにウェブサイトをつくらないでおこうかな。Y・Nのドローイングだけのミュージアム『Y・N MUSEUM』をつくりたいと思ってはいるが。
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セブンイレブンのアイスコーヒーが美味しい。今年の夏ぐらいからずっと毎日のように飲んでいる。
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Cream Soda Museumのインスタの更新がなかなかできない。というより、gachaichiroのインスタの更新もかなりハードルが高く感じるというか。毎日のようにたくさん更新はしているんだけど、いいねが少なすぎてつらいというか。
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中村達「私が諸島である カリブ海思想入門」をアマゾンで買った。クレオールという言葉に代表されるように、さまざまな文化が混ざり合って、複雑な文化ができるように、あの辺のことはよくわからないけど、面白そうだなと思う。失礼だが、周縁として、遠ざけられてきたような思想というのには興味がある。
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『Yuichiro Nakamura Smartphone Photos』に近いアイデアとして『Tomato Agency』(2023-2026)というのをやっていた。それは写真を実際に存在する世界中の人から集めて代理で展示とか発表するというアイデアのプロジェクト型作品である。アイデアはありきたりな感じもしなくもないが、実際に集まってくる写真は、海外の風景が多いから、見ていて楽しいし、写真としても面白かった。けれども、実際にいる人が関係するというのと、なかなか集めるのが大変という理由でやめてしまった。
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オルタネームコミューンというポストアーティストのプロジェクトがある。仮設的政治運動体として活動しているという設定というか活動。平岡さんが以前、インフィニティアッセンブリの集会をオンラインで開いたときに、かなりの数のオルタネームをメッセージで送ってくれた。その全ては、ロバート・クーヴァーの小説「ユニバーサル野球協会」の中に出てくる登場人物らしい。その小説は、「一人の人間が、自分で作った架空世界にのめり込み、その世界が作者から独立していく」という感じの小説らしく、めちゃくちゃ僕っぽい。本も買った。
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その前に送ってくれた「ユニバーサル野球協会」の登場人物の名前をA4の白のフォーマットに中心にレイアウトして、作品化したいと思っている。それと、そのレイアウトしているイラストレーターの画面をスクリーンショットを撮って、フェリックス・ヘイルのオルタネームコミューンをサポートするプロジェクト『Places Where Light Arrives』の作品にもしようかなと思っている。どちらもVOCA用としてまだ発表はしないつもりだ。
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さっきY・Nのはがきサイズのドローイングを描いていた。やはり簡単に描けて、好きな感じの造形ができて、失敗しない、あと今までで一番長く継続している大きなプロジェクトということもあるのか、すごく安心感があって楽しい。心のどこかで作者の一貫性としてのスタイルというものを信じているところがもしかしたらあるのかもしれない。
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一つひとつの名義の継続性の問題がある。どんどん新しい名義が増えていってしまうから、過去につくった名義にとっての新しい作品というのをつくることを継続するということが、全ての名義においては不可能だ。例えば、Y・Nとかは2000枚以上描いているが、架空都市ゴルゴル系のアーティストとかはそんなに描いたりつくったりしていない。
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全部をY・N化する必要はないのではないか。むしろ全部をY・N化すると、それぞれの名義の差異が弱くなる。ある作家は一つしか作品をつくらないとか、ある作家はY・Nのように大量につくるとか。
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僕の場合、制度批評のジャンルに分類されるのかもしれないけれど、主として批評しているのが作者という制度であって、美術館という制度ではないというか。作者の中に美術館制度が結び付けられているからそこも無関係ではないけれど、美術館に取り入れられたら終わりとかそういうことはないと思う。
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5252文字。今日もけっこう書いたのでそろそろ日記は終わりにしようかな。