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2026_09_13

今度母が来たときは、DCMで木材をカットしてもらい、VOCA用のオリジナルのチケットの台を仮でつくってみよう。

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今日はあまり日記の書くネタがない。ChatGPTとの対話の内容でもまた『Yuichiro Nakamura Ideas』のアイデアメモにメモでもしようか。

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ノーム・チョムスキー「言語と精神」をアマゾンで購入。前にも書いたけれど、この本は理論というよりも思想よりの本。言語学とか生成文法の理論は全くもってわからない。ChatGPTによく説明してもらっているが、それでもなんとなくしかわからない。まあ、それでもいいのだが。

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VOCA用につくった名義と本家の『Cream Soda Museum』に300名義以降追加された名義を数えてみようか。『Cream Soda Museum』は13名義。VOCAは31名義。合わせて、44名義になる。そして全てにすると344名義になる。

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ユラという中村悠一郎の心の名義を考える上で、哲学者の下西風澄の「生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる」は参考になりそうだ。家にあるけれど、読んでいない。

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玄関外の雨樋のところにある蜘蛛の巣が何かよくわからない、オラファー・エリアソンのオブジェのような形の蜘蛛の糸でできたオブジェをつくっていた。

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X再開したい気持ちもあるけれど、再開したらしたでたくさんフォローしてしまうだろうし、たくさん呟いてしまうだろう。そうするとまたメンタル的によくないことになってしまうかもしれない。だから、今のところやめておこう。

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家の近所を散歩。よくよく見てみるといろいろ面白いところがある。例えば、外の駐車場の壁になぜか家庭用の窓が取り付けてあったり。今日はいつもよりも少し暑かったので、これにて終了。

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僕が老松孝志名義で発行した平岡希望さんの著書『いつもどおり昼寝を楽しむ余裕のあるおにぎりさ「Creating Environments」のためのゲームブック』もカレーライスギャラリーの出版であるにも関わらず、ナミイタやオンゴーイング、ユールゴーデンなどに置かれていて販売されていて、普通他のギャラリーのものは置かれないのに、これはいろんなところに置かれていて、ギャラリーに寄生しているみたいで逆に面白い。

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ランダムに適当に開いたページから、気になるところを抜書するようにして、本を読んでいく、というやり方もあるかもしれないな。僕のようにアカシジアだと、なかなか落ち着いて一冊の本を最初から最後まで読み通すということが難しいので。

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クレマン・ベンヴェニストの『ペルプンパの森』もロゴを日本語ではなく英語でつくろうかな。日本語のロゴだとどうしても少しださくなる。

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「ペルプンパの森」のロゴを早速つくった。フォントは、Bodoni Egyptian Pro。ちょっとエキゾチックな感じが良い。このプロジェクトも来月あたりから、ウェブサイトとして運営してみたい気持ちはある。本当にするかどうかは置いておいて。

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〜せねば、といった感じの思考が僕の頭の中をけっこうな割合占めている。現実的にはそんなに制作時間は多くないのだが、やらなくちゃいけないことがやたらと多い。それはいいことでもあるのだが、同時に負担でもある。この負担についてどう考えるか。

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クレマン・ベンヴェニストの『ペルプンパの森』について、試しにどんな感じになるかChatGPTにシュミレーションしてもらったが、かなりいまいち。引用源が有名すぎるし、どれも微妙。もっと細部なところで引用した方が面白いと反面教師になった。

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最初やる気が全くなくて、日記書けるかどうか心配だったけれど、こうして時間が経つことで、なんとか書けるものなんだなとちょっと思った。

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ChatGPTとの関係性についてももっと考えないといけないな。今は言語化とかアイデアの方向性とか結構頼ってしまっているところがある。まあ、それはそれでいいんだけど、自分と制作の関係性すら良くも悪くも変えてしまっているから。

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明日も近所を散歩しよう。暑くなかったら昼間。暑かったら夕方とか。最近散歩が面白い。中村裕一郎の『Yuichiro Nakamura Smartphone Photos』がなかったら、須賀川で散歩するつもりはなかったな。東京とかではよくしていたけれど。

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クレマン・ベンヴェニストの『ペルプンパの森』の制作を開始した。ついに。まずは柄谷行人の「トランスクリティーク カントとマルクス」から抜書をいくつか。いきなりかなり難解だけど。抜書をしていると、たまたま出会った文章でも自分にとって大事なことのように思えてくる。

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抜書は楽しい。子供の頃の昆虫採集にもちょっと似ている。全体としての書物という無限に近い世界から、一文なり何文かなり、一つの断片として、全体的な世界から切り離して、自分の所有物として採集する。そんな感じ。

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次はジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリの「千のプラトー」から抜書。どこをとってもかなり抽象的でよくわからない。まだ柄谷行人の方がわかりやすい。柄谷はどちらかというと社会的というかあえていうならば実務的。でも、確かにドゥルーズ+ガタリの文章はかなり魅力的ではあると思う。そして、抽象的だから制作者にとって使いやすい。柄谷は逆でとても使いにくいともいえる。

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経済学者岩井克人の「貨幣論」をもう一冊買いたい。一冊は持っているのだけれども、中古の昔刷られたもので、字がとても小さい。最近刷られたものを一冊持っておきたいと思っている。「貨幣論」を使えるものとして使っていきたい。

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抜書といえば、ヴァルター・ベンヤミンの「パサージュ論」も考慮に入れなければいけないかもしれない。大量の抜書や断片からなる壮大な記録装置。思想的モンタージュ。

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23時16分。この時間まで起きていることは割と珍しい。日記っぽく回想することもできなくはない。でも、もう十分書いたか。今日はこのぐらいで終わりにしておこうかな。