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2026_09_14

ペルプンパの森のウェブサイトの構造について考える。それぞれの断片的なテキスト群を一つのまとまりとして考えて、FRDCBとか適当なアルファベットの羅列でテキストの配置を決めるとか。メニューがあってForestという項目があり、そこからABCDEFG…と続いていく項目をつくる。そこに先ほど書いたFRDCBとかの最初の文字で分類する。あえて日記的な日付をつけないという試み。

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昨日は、柄谷行人「トランスクリティーク カントとマルクス」、ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「千のプラトー 資本主義と分裂症」、斎藤環「イルカと否定神学 対話ごときでなぜ回復が起こるのか」などから抜書。なんとなく『ペルプンパの森』でやりたいことというのが見えてきた。

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「本を頻繁に開いてみる」ということがこの『ペルプンパの森』でのトレーニングであり、本質的な行為なのかもしれないな、と思ったり。

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『ペルプンパの森』用に制作したテキストのコラージュを福岡壱海のプロジェクト『Fukuoka Ichika Commons』として、インスタとフェイスブックにアップした。本来アップする予定はなかったのだが、ある程度まとまった量がたまったので。

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机の上が本で雑多な感じになってきている。こう見ると今まで本が多いように感じていたのだが、そうでもないということに気づいた。

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中村雄一郎の『Yuichiro Nakamura Smartphone Photos』のために散歩して写真を撮影しようかとも思ったが、思いのほか今日は暑い。夕方にしてみようか。それでも暑かったらやめておく。

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唐澤太輔「粘菌哲学」と岩井克人「貨幣論」をアマゾンで購入した。

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ヴァルター・ベンヤミンの「パサージュ論」もアマゾンで購入。今日一日で本を買いすぎたかもしれない。まあ、いいか。

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やはり、何か夢中になれることがあること、そして、病気のことを忘れられていること。そのぐらいのときの方が調子がいいといえる。

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「自己同一性を「私は私である」と表現した場合、主語の「私」と述語の「私」は同じと考えてよいでしょうか。普通は同じでよいことになりますが、デリダはそうは考えませんでした。述語の私は主語の私によって対象化された私であり、そこには時間差が入り込みます。自己というものは時間とともに発展していくものなので、わずかな時差でも「同一である」とはいえなくなります。簡単にいえばこれが「差延」の作用です。」(斎藤環『イルカと否定神学 対話ごときでなぜ回復が起こるのか』医学書院、2024年、p.160)斎藤環のこの箇所、デリダの差延についてすごくわかりやすく説明してくれていて、とても助かる。それにアイデンティティについて考える上でとても大事というか。

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そういえば、私というアイデンティティについて考えるのであれば、平野啓一郎の「私とは何か」からも抜書できそうだな。

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『ペルプンパの森』も来月ぐらいにサイトをつくって、そしたら背景色を変えたロゴの画像にアップデートしようと思う。

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インスタのいいねがつかなすぎて、インスタをやめたい。確かにわかりやすい一貫性は僕にはない。けれど、もうちょっと多くてもいいのではないか。でもインスタやめると連絡などが面倒だしな。

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インスタをやめたら、プロジェクトの発信はどのようにしたらいいのだろうか。わからない。メーリングリストとかになるのだろうけど、そんな頻繁にメーリスを送るのもちょっと迷惑だしなと思う。『Cream Soda Museum』にアップすれば、それでいい気もするが、もうちょっといろんな人に見てもらいたいとも思う。

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結局やめることにした。もうSNSはうんざりだ。早くやめたい。

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インスタとフェイスブックのアカウントを削除した。どうしてこうしち面倒臭いシステムなのか。ログインのパスワードがわからなくて、苦労した。

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戦うという言い方をするのはマッチョであまり好きではないが、僕にとっての表現の主戦場というのは、インスタとかSNSの雑多な世界ではなく、ウェブサイトであり、特に『Cream Soda Museum』さえあればいい、ぐらいに思っていていいのではないか。

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あとで、今日書いた『Fukuoka Ichika Commons』のテキストもグーグルドキュメントにアップしておこう。

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ちょっと、これから中村雄一郎の『Yuichiro Nakamura Smartphone Photos』のために散歩して写真を撮影しようかと思う。ちょっと涼しくなってきたし。

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近所の写真撮影の散歩終了。昨日ほどではないけれども、まあまあ面白い写真が撮れた。須賀川でもよくよく見てみると面白いものがある。今度は、母が来たときに安積永盛に連れて行ってもらい撮影をしたい。

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確か2023年だったと思うが、アーティストのつちやさんたちと安積永盛を街歩きした。そのときは、スマホではなくて、一眼レフのてりやき名義で写真を撮影していた。一眼レフもいいが、普通のiPhoneの写真もいいなと最近思えるようになった。安積永盛は工業地帯でけっこう面白い写真が撮れた記憶がある。

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福岡壱海の『Fukuoka Ichika Commons』のグーグルドキュメントを更新。前回の日記形式の中村雄一郎の「2026_08_31」も更新まだしていなかった。

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本の抜書をたくさんしてしまったからか、肩のあたりのこりというか違和感がひどい。回したり、揉んだり、色々してどうにかならないか試している。

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やらなくちゃいけないと思うとプレッシャーになってできないから、やらなくてもいいと思うようにする。そうするといつのまにかできるようになる。やらなくてはいけないことはたくさんあるのだが。

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最近は言語的で概念操作的な作品が多かったから、もうちょっと非言語的で直感的で造形的な作品とかもつくりたいとは思っている。

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先ほども書いたが、昨日から今日の朝にかけて、本の抜書をたくさんしてしまったから、ちょっと頭が疲れているのかもしれない。というか、肩の違和感もそうだけど、全体的に疲れている感じがする。頭痛もちょっとあったからバファリンを飲んだ。

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中村悠一郎の「心」の名義ユラに引き続き、「生活」を名義化したい。「ミ」とかどうだろう。中村雄一郎の日記から、断片を引用して、レイアウトして画像として作品化する。