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2026_09_25

最近、言語化をこの日記などでしているから、さまざまな形式の言語化に興味が出てきている。例えば、「日記⇄批評⇄文学」とこんな感じ。日記は、中村雄一郎の《Yuichiro Nakamura Diaries》のサイトで、批評は、長澤真莉の《フューチャーマヨネーズ》、文学は、トマス・エスカランテの《サーモン》。それぞれ、最終的には《Cream Soda Muesum》にアーカイブされて回収はされるんだけど、言語による制作として。

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やっぱ絵画とか、インスタレーションとか、彫刻とか、そういったメディアで表現するのは、お金がかかるから、僕には向いていない。かろうじて仕送りで生きているから、別に生きるのに心配はないんだけれども、それ以上のことを大金を使ってやる、ということはできない。かといってお金を稼ぐこともできない。

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インターネットアートは、そういう意味で、けっこう可能性を感じている。SNS全盛の時代だけれども、SNSに比べて、ゆっくり時間が過ぎていく。相手に見られることを前提としていないから、「いいね」を気にせず、じっくり制作に向き合える。

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昨年、《カレーライスギャラリー》で「ミソロジカルアーティスト」として発表した、デルピス、ナジームの炎、へへ・へペル・へへあたりも、断片的なテキストをレイアウトした画像などで、もっと可視化したり、名義を増やして、設定を細密にしていく、とかもできるなと思っている。

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長澤真莉の美術批評サイト《フューチャーマヨネーズ》に、さまざまな名義でたくさん批評を載せたいとは思っているけど、僕はあまり批評を書くのが得意だと自分では思っていない。批評のコツってなんだろうな。美術批評家でアーティストの岡崎乾ニ郎さんは、批評の本質は、褒めること、と言っていたけど。シンプルに考えると、どこが良くて、どこが悪いか、どうしたら良くなるか、という三段論法(?)で書けるかもしれない。

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昨日の23時ぐらいから、今(午前2時過ぎ)まで、《Yuichiro Nakamura Ideas》のアイデアメモを書いていた。3枚たまった。やはり、日記をまず書くのではなく、アイデメモを先に書く方が、頭が働くような気もする。

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他に作品とか作家を批評する上で重要なことに、その作品、プロジェクトなどが何を可能にしているか、何を実現しているか、ということもある。作品であるからには、世界に対して、切り出している何かがあって、それは必ずしも言語化しやすいメッセージとは限らないが、何かしらあるはずで。

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書くことによって、自分の思考というのが分岐していくというのは、別名義と親和性が高いと思う。言語的切断性。面白いのは、日記を書いているときの文体と、批評を書いているときの文体はちょっと違うということ。そこまで大きな違いではないが、確実に違う。もっと、批評の中でのさらに名義ごとの違いというのも、訓練していけばできるかもしれない。

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「制作と非制作」の関係性は、絵における「図と地」の関係性と少し似ている。例えば、絵には、図があるのと同時に地があるわけで、そのどちらかが欠けていても、成り立たない。オールオーヴァーの絵画とかもあるが、とりあえず、ここでは置いておく。図を成り立たせるのに大事なのは地でもあり、制作においては、非制作という制作していない時間というのが大事なのかなと。僕の場合、アカシジアだから、ずっと机に向かっていることはなくて、すぐに作業を休んで、部屋の中を歩き回る。この歩き回る行為というのが大事なのではないかと、ちょっと思った。

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村上春樹もSNSと距離をとることで知られていると、何かで知った。文章や情報というのとの距離感をコントロールしている的な。このことはけっこう参考になるなと思った。もちろんSNSが好きな人はやった方がいいけど、僕みたいに病気でかつ情報を受け取り過ぎたり、人間関係に過剰反応してしまう人は避けてもいいメディアだとは思う。

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少量の異物を取り込む。今の制作を突き進めていくと、自分一人でしかわからない超ハイコンテクストな世界が出来上がってしまうので(それはそれでいいのではあるが)、自分自身が、苦しくなっていってしまう可能性がある。時々、インプットをして、異物を取り込まないといけないとは思う。

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Nala Sinephroをスポティファイで聴いている。この人も最初聴いたときは、ピンとこなかったけれど、聴いていくうちに、少しポップではないものの耐性ができたというか、今ではすごくいいなと思える。CDをタワレコオンラインで随分前に注文したが、もう一つ注文したSam WilkesのCDが入荷していないらしく、まだ届かない(二つ揃わないと発送しないらしい)。

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水鳥太郎の《量子論アナキズム国》で誕生したアーティストという設定について考えてみる。あまり量子力学やアナキズムにとらわれない方がいいかもしれない。例えば、画面に「や」をランダムに配置したグラフィック作品を制作するアーティストとか。iPadで描いた線を詩として表現する詩人、アーティストとか。「3つの何かの言葉」をテキストで書いてレイアウトするアーティストとか。要するになんでもいい。

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経済圏のアーティスト《な》で生まれたアーティストという設定のアーティストも考えてみる。《ね》とか。《ね》が《量子論アナキズズム国》で一つの言語として機能しているという設定とか。あるいは、もう一つの《ね》が《量子論アナキズム国》で生まれたアーティストとか。

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長澤真莉の《フューチャーマヨネーズ》に、島道利彦のラネプに対する批評「ラネプはどこにいるのか?——《ラ》、《ハ》、《ピ》についてのいくつかの考察」を書いた。そんなに長くはないけれど、ポストアーティストについて、いろいろ書けた気がする。ラネプとは色彩自体がアーティスト。《ラ》、《ハ》、《ピ》はその色彩がただ変化するだけの1分の映像である。

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この調子で、いろいろ自分の別名義の作品とか作家について、批評を書いていきたい。別に短くてもいいと思っている。そのうち、もっと長いのも書けるのではないかとも思っている。

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トマス・エスカランテの《サーモン》についての記述をメモとしていくつか。《サーモン》もサイトをつくりたいと思っているが、どのような構造がいいだろうか。ひらがな順とか百科事典的な構造にできないだろうか。それには、記述だけじゃなくてタイトルが必要かもしれない。

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この日記から、文章をそのまままとまりで抜粋して、それを編集するように並べて、新しい日記をつくる、というプロジェクト。なんて名前がいいか考えている。《サーモン》はなかなかいいネーミングだと思ったが、次は《スプーン》とかどうだろう。あるいは《チキン》とか。もうちょっと考えよう。

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結局、《ゼリー》にした。理由は僕にもわからないが、《チキン》はちょっと意味が強すぎる感じがしたのと、《スプーン》は他のプロジェクトにとっておきたいなと思ったので。

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期間を区切らないと、ずっと制作関係のことをしてしまって、本が読めない気がする。最近は、アマゾンでけっこう本を買ってしまって、積読がたまっている。《ペルプンパの森》のためというのもあるし、単純に自分の知的好奇心から、というのもある。《ペルプンパの森レジデンシー》とかやってもいいかもな。もちろん自分の家で。それにはアカシジア対策もしなくてはいけない。

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飽きるとは、どういうことだろうか。僕には、300以上の名義があって、そのうち大半は、続いていないのだけど、まあ、飽きるのともちょっと違うのかもしれないけれど、ある種の満足感というか、別のことへ興味が移ってしまう、という。できれば、長く続けたいと、全部のプロジェクトで毎回思ってはいるんだけど、続かない。でも、続かないおかげで、新しいことができるという側面もある。全てはノリなのかもしれない。

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山田秋歌の意味のわからないテキストによる批評も、あと何枚か書かないといけない。これはVOCA用に。意味のわからないくせにけっこう書くのには時間がかかってめんどくさいという。でも、一枚だけだと効力が弱いから、何枚もあった方が絶対いい。それに、風島りさによる引用というのができない。

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少し寝た。やっぱり寝るっていいな。やることが疲れてきたら、休むには、寝る。それが一番。

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トマス・エスカランテの架空世界《サーモン》のウェブサイトを今つくるか、それとも来月まで待つか、迷っている。今月はウェブサイトをけっこうつくっていて、4つつくった。来月まで待とうかな。

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VOCA用の作品制作もやらないといけないし、でも、それだけやっているときつくなるから、自分自身の自主的な制作もしないといけない。両者によって、けっこう時間が取られてしまう。でも充実しているのはいいことではあるのだが。せんだいメディアテーク主催の大縁会用のポートフォリオも本当はつくりたいと思っていたけれど、できるのか?あるいは、ポストカード自体をポートフォリオって言ってしまうとか。持ち帰れるポートフォリオ。

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時間差はあるけれど、先ほど寝る前に、《Cream Soda Museum》のポストカードの住所を消す作業をしていた。昨年つくったものなので、住所が松戸のアパートだったので。《Cream Soda Museum》のポストカードもいろんな人に届けたいとは思っているけれど、もう2024年には、別のつくったものがあって、それを200とかかなりの数全国のアートスペースなどに送ったので、もう一回送るというのもちょっとなと。

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2024年につくったポストカードには、「クリームソーダの精神」という《Cream Soda Museum》の中でキュレーションした別名義の展覧会をやっていて、その情報を載せていた。こういうように、展示をつくれば、送ってもいいかもしれないが。でも、まだ別名義の数が少なくて、キュレーションに少し窮屈さを自分が感じていて、それ以来やるのをやめてしまったという。

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VOCAが終わったら、ノア・カジワラが運営している《It Must Be Too Late》のサイトも本格的に稼働していきたい。こないだこけら落としとして、企画した3つの展示を、ポストカードにして、送ってもいいかも、とちょっと思ったけど、もっとたくさん展示している作品があってから送った方がいいかもなと思った。

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本をよく買うのだが、アマゾンで買っているので、おすすめとかに出てくる本をついつい買ってしまう。でも、けっこうおすすめの本というのは、最近出版された本が多く、昔のとかは、作者とか著作とかピンポイントで調べないと出てこない。ここらへんに落とし穴があるかもしれないなと思っている。不定期でいいから、郡山のジュンク堂とか須賀川の図書館tetteとかに行って、時が経っている本というのに触れる機会を設けないと、と思う。

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日本には、ちゃんとした現代美術の批評家というのは、わりと少ないのではないか。数十人とかそのぐらいかも。もう長澤真莉の《フューチャーマヨネーズ》の美術批評家の数を増やして、それを超えていくとかもちょっと面白い。