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2026_10_10

こういった日記のような断片的なテキストは書きやすいから、トマス・エスカランテによる架空世界の事を断片的に記述していく《サーモン》も、もしかしたら、プロジェクト的にすれば、続くかもしれない。まだ続けるかどうかは置いておいて。

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SNSと違って、日記という形式は、どれだけ書いても、人に多くてうざいと思われる心配がない。そのことでどれだけ気が楽になるか。

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「自分の中に他者が存在している」というストラザーンの理論のことを考えてみて、僕は、かなり生活的には孤立しているというか、母親ぐらいしか会う人がいない、と思ったけれども、別に今生きている人や直接会ったことのある人に限ることはないのではないかとも思った。こうして、文章を書くことによって、ストラザーンとも関係性を結んでいるし、さっきは空海のことを調べていたから関係性を結んでいるともいえる。そう考えると壮大な思考の海のようなところで新たな航路を毎日発見しているような気分になる。とても楽しい。

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今日は朝からけっこう制作というか作業してしまっている。もうちょっと休まなければいけないと思う。

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先ほど書いたように、少しだけ言語学に興味がある。それは概念をある意味僕は扱っている名義が多いというのもあるし、こうして言語的に作品のアイデアを考えることが多いというのもある。

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AIで簡単にグラフィック作品とかをつくれる時代になってしまったのに、僕がイラレとかでデジタルだけど手作業で作品をつくっている意味はあるのかともし聞かれたときにどう答えるか。一つは僕自身が制作を楽しむためにやっているということ。そしてもう一つは、僕がつくったことに意味があるということ。二つ目の問題は、作者とは何かという問いをかけているのに、自分自身がつくったことに意味があるということで、別名義はあくまで自分という身体的には一人だからこそ面白いのかもしれない。

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昨日仏壇の部屋を見ていたら、ポ・ジャヤ・インドラのドリッピングではがきサイズの画用紙に描いた絵を見つけた。しばらく見ていなかったから忘れていたけれど、けっこういいなと思った。昔、国立新美術館でジャクソン・ポロック展を見にいったときに、書道のようなシンプルでダイナミックなポロックのドリッピングの絵があって、それに惹かれたのを覚えている。それとは大きさが全く違うけれど、小さな画面だからドリッピングがダイナミックに見えるという点で似ている。

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《Cream Soda Museum》は一応美術館だけれども、美術館らしさはそこまで必要性があるとは思っていない。それは作品であるからということもある。

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日記の場合、見る人が限られているというのがせめてもの救いかもしれない。ワンクッションあるだけで違う。