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2026_10_14

AirPodsで音楽を聴く。Nala Sinephroのアルバム『The Smashing Machine(Original Motion Picture Soundtrack)』をSpotifyで。

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楡木真紀の《自由日記》が書き終わった。605文字。そこまで悪くはない。特に文字数を決めているわけだはないけれど。こうしてちょっとずつでも継続できれば、と思っている。

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片方の足を前に踏み出して、その次にまた別の片方の足を踏み出せば、歩いていける、というように、毎日を暇に過ごしていれば、名義は勝手に増えていく、と信じたい。いつか1000とか2000とかになってくるかもしれない。そうなったら、また別の次元にいけるかもしれない。

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グラフィックの本『Cream Soda Museum』がとりあえず入稿完了したので安心だ。

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作家(身体)=作家名(名義)=作家性(一貫性)という図式が基本的には美術の制度としてあって、そこに対して、自分のやりたいこととしての名義・作家性の複数性を並列させているという図式をぶつけてみること。ぶつけると言っても、制度批判というよりも、制度への提出という制度に対応する語りかたの構文の問題であって、決して破壊することが目的なのではない。これって僕にはすごく重要なことに思える。

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名義同士が関係するようなプロジェクトをやる「芸術生態系」的名義に必ずしもこだわらなくてもいいのではないか、とちょっと思えてきた。普通に、思いついたことをただそのままやればいい。別に、VOCAの賞とかも狙ってないし。

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自分の考えていることとか感じていることを言語化することは、自分自身の精神衛生上もいいのかな?どうなんだろう。作品もつくりすぎるのは精神的に負担だし、言語化もしすぎるのは良くないと思うけど。

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K・Iの空の写真を撮影しようとして、庭に出て、空を見上げたら、トンボがたくさん飛んでいて、障害物になるから撮影できなかった。この時期のこの時間になるとトンボがたくさん出るんだな。新しい発見。

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もう一つの中村祐一郎の方は、《エターナル・ポテト》にした。こちらもメニューを全部変える作業。でも、そこまで多くないからこっちは楽。

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ヨナス・ゲブレに似た作家として、ネネ・トゥーレがいる。ネネは、水平のストライプで、ヨナスと同じくカラフルな配色。ネネ・トゥーレも《Cream Soda Museum》で作品を増やしておいて、関連作家として、記述しようかな。

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最近は、書くことへの興味はあるけれど、他人のことについて書いたり、論じたりすることには、一切興味がないんだよな。他人から書いてもらうことには、興味はすごくあるんだけども。

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生成制度論をもっと理論化したい。理論化することで、作品化する。生成制度論とは、「思想。アーティスト。ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリの「生成変化」や千葉雅也の「仮固定」などに影響を受けた制度思想。ありとあらゆる制度が固定的なものではなく、生成途中のものとして、一時的に仮固定されているという思想である。国家、美術館、貨幣、学校、作者など、あらゆる制度を固定的なものとしてではなく、生成の途中で一時的に仮固定されたものとして捉える。」というもの。

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一貫性をつくることは、ある意味社会的な認知の中での立ち位置をつくりだすことであるなとは思う。そういった意味で僕は、階層の異なる一貫性をつくることで、社会的に認知されたいのかもしれない。その社会的認知は結構難しくて、苦戦しているのだけど、ChatGPTいわく、わかりやすい入口をつくることが重要だという。わかりやすい入口…。『Cream Soda Museum』は僕の中で一番の代表作だと言えるけれど、もう作家数が多すぎて、わかりやすい入口ではない。

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トマス・エスカランテの《サーモン》についての記述もいくつか。【ヒコイ地域の炎と対話する人々】、【パスー地域の休む練習について】など。最近は風習系が多い気がする。といっても、そんなにたくさん書いているわけではないんだけれども。

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アイデアメモ(Yuichiro Nakamura Ideas)は、必ずA4のコピー用紙というフォーマットに書いて、無印良品の20ポケット入りのクリアホルダーに入れることにしている。何かルールを決めることで、続けやすくなったり、続けざるを得なかったりするからだ。学生時代にも無印良品のノートブックに日記のようなことを書いていたけど、内容はほとんど忘れた。今度、実家に帰ったら、こっちの須賀川に持ってきてみようかな。

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クレマンス・ヴォートランのゴミのコラージュを制作したいと思いついて、ゴミの入ったコンテナを机の近くに移動した。そのことによって、それだけで、ゴミのコラージュをやりたいという気持ちが増幅されている。まだ実際にはやっていないけれど。このことは、積読とちょっと似ている。本を実物を買って、読んでいなくても、物質として身の回りに置いておくだけで、その思想的なものから影響を受けることができる。

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長澤真莉の美術批評サイト《フューチャーマヨネーズ》に、さまざまな名義でたくさん批評を載せたいとは思っているけど、僕はあまり批評を書くのが得意だと自分では思っていない。批評のコツってなんだろうな。美術批評家でアーティストの岡崎乾ニ郎さんは、批評の本質は、褒めること、と言っていたけど。シンプルに考えると、どこが良くて、どこが悪いか、どうしたら良くなるか、という三段論法(?)で書けるかもしれない。