2026_10_15
とりあえず、日記を執筆。特にまだ書くようなことはしていない。
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ミレニアム・スーパーマーケットとか。
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最近、言語化をこの日記などでしているから、さまざまな形式の言語化に興味が出てきている。例えば、「日記⇄批評⇄文学」とこんな感じ。日記は、中村雄一郎の《Yuichiro Nakamura Diaries》のサイトで、批評は、長澤真莉の《フューチャーマヨネーズ》、文学は、トマス・エスカランテの《サーモン》。それぞれ、最終的には《Cream Soda Muesum》にアーカイブされて回収はされるんだけど、言語による制作として。
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なんか自分がやっていることについてばかり語ってしまうとすごく意識が高い人みたいな感じがするのでやだな。
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だから、やはりそういう意味でもインプットをして、自分の中に異物を入れ込むということが重要なんだな。
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サリューワ・フニョミによる架空の書物をテーマにした作品に影響を受けたプロジェクトとして、アーティストランスペースがあってもいいかもしれない。名前だけのグループ展を毎回行っている。という設定。
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前にも書いたかもしれないけれど、日記を書くことで言語化することによって、自分自身を客観的にみれる。そのことはメンタル的にいいことなんではないだろうか。ある種のセルフケア的な側面はあるとは思う。
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フルクサスのアーティストのロベール・フィリウの「エターナル・ネットワーク」と南方熊楠の関係性について考えてみるとかはとても面白そうだ。
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東京都現代美術館で来年ブライアン・イーノの展覧会あるのか。これは行きたいな。
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まだまだ日記として自分の文章は硬いなと感じる。別に柔らかければ柔らかいほどいいというわけではないが、千葉雅也の「ツイッター哲学:別のしかたで」のように、思想性と柔軟性のある文章が書けたらいいのになと思う。
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今日もちょうどいい気温で雨も降っていないから、散歩に出かけてもいいかなとは思う。けれど、なんかやる気が出ない。
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1時過ぎに、一旦起床。《フューチャーマヨネーズ》用に、中村裕一郎の《Yuichiro Nakamura Smartphone Photos》のプロジェクトについての批評文を、本間結希名義で執筆。幸先のいいスタートだ。
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VOCA用の作品制作をストップしたおかげで、少し余裕ができて、他の制作などもできるようになったけれど、まだ、クレマン・ベンヴェニストの《ペルプンパの森》やノア・カジワラの《It Must Be Too Late》とかまでできる余裕はない。もう少し待とう。
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ChatGPTにオーディオ関係のことを聞いていて、頼もしいなと思う。シンセサイザーとかも思ったほど高くないんだなと思って、使ってみたいなと思う。とりあえず、ボイスだけを使った、小岩慶介のプロジェクト用に、マイクやオーディオインターフェースとかのセットが欲しい。
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《Yuichiro Nakamura Ideas》をスキャンして、アップ。このプロジェクトも、名前は後付けではあるが、2025年から続いているので、僕にしては、続けられている方ではある。
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確かにSNSをやめてしまうと、発信の問題もそうなのだが、受信の問題もある。アートシーンというと大げさだけど、誰がどんなふうに動いているかわからなくなるという問題だ。まあ、別にそこまで興味はないんだけれども。少数だけど、どんなことをしているか知りたい人は確かにいる。