2026_09_01
精神的な障害のある方々がなぜ美術に向かうのか、なんとなくわかる。やはり一人で完結して表現することができるからだ。もしかしたらいるかもしれないけど、あまり、障害のある方が演劇や音楽とかに向かう人ってかなり少ない気がする。それはやはり人とがっつり関わらなくちゃいけないというのは結構大きな気がする。
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缶詰デモクラティックバンクの反応はいまいちだったな。僕の投稿が多すぎるのか、それとも、理解されていないのか。確かに僕の投稿は多い。けれども、それは活動量が多いことに由来しているから、悪いことではない。むしろ他人の顔色をうかがって投稿するぐらいならしない方がいい。投稿はいいねを期待するのではなく、インターネット上に作品情報を配置する、ぐらいに思っておいた方がいい。
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そろそろ涼しくなってきたし、庭で踊るか。結構踊るのは気合いを入れないとできないんだけど。ルーティーンにしちゃえばいいんだけど、最近かなり太ってきたからなあ。
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インスタのアカウントをもっと増やしたいけれど、一つのメールアドレスにつき、6個までしかできないようになっている。いちいちログインし直すのは面倒くさいし、かといって、iPhoneをもう一台用意して、電話番号を契約して、Apple IDをもう一個取得するというのも、お金がかかるしなあ。まあ、それやってもいいんだけど、インスタに頼りすぎるのも精神衛生上良くないんだよなあ。
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日記のウェブサイトができた。大体3時間ぐらいあればこのぐらいのサイトはつくれるようになった。かなり早いと思う。いつも同じフォーマットだけど。
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日記を読み返してみると結構ネガティブだなと思う。もうちょっとポジティブなことも書きたいなと思う。
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何か作業しているとき以外はメガネを外してみようかなと思う。意外とメガネによるストレスというのはあるような気がしていて。例えば、靴も何かしているときは感じないけれど、ずっと履いているとストレスなのと同じように。伝わるかな。
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デジタルデータを整理してさばくのが昔より上手くなってきた。昔は、全部とはいわないまでもほとんどのデータをデスクトップ上にばら撒いていて、カオスだった。今は、名義と日付をつけたデータとフォルダをつくって整理できている。
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僕の作品とかプロジェクトの展開のスピードについてこれる人はあんまりいないと思う。よくいろんな人にわからないと言われる。だけれども、僕は作品とかプロジェクトをつくりたいという気持ちが大きく、抑えるのも良くないと思っている。
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AIで簡単にグラフィック作品とかをつくれる時代になってしまったのに、僕がイラレとかでデジタルだけど手作業で作品をつくっている意味はあるのかともし聞かれたときにどう答えるか。一つは僕自身が制作を楽しむためにやっているということ。そしてもう一つは、僕がつくったことに意味があるということ。二つ目の問題は、作者とは何かという問いをかけているのに、自分自身がつくったことに意味があるということで、別名義はあくまで自分という身体的には一人だからこそ面白いのかもしれない。
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自分の日記は何回も読む気になるのに、人の日記はあまり読む気にならない。この決定的な違いはなんだろう。
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基本的に僕はお金のかからないプロジェクトをやろうとしている。缶詰デモクラティックバンクもそこまで成功はしないだろうとは思っているし、そもそも成功の目標が低い。お金は母から毎月仕送りみたいな感じでもらって生計を立てている。ちなみに作品が売れてお金になることはほとんどない。
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詩人の吉増剛造は、僕が興味を持っている詩人でアーティストの一人なのだが、ちょっと勝手にいうのはおこがましいけれど、僕と毎日の小さな制作を続けるというようなスタイルというか感じが近いというか。僕はあまり詩を書かないけれど、ドローイングだったり、日記だったり。現代美術としても評価されているけど、どでかいインスタレーションがバーンみたいな感じではなく、小さなドローイングがたくさんある感じというか。
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映画「フォレスト・ガンプ」の中に、トム・ハンクスが突然走ることに目覚めて、アメリカを横断したりしているうちに、最初一人が信者のようについてきて、それがどんどん増えていって、めっちゃ増えるというシーンがあるんだけど、それと真逆のことが僕のインスタでは起こっている気がする。最初始めたばかりのときは60いいねとかもらえてたのに最近は平岡さんと岸野さんぐらいしかついてきていないのではないかって感じだ。まあ、何回もいっているけど、SNSを重視しない方がいいなと。
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9月1日になって、0 km Residencyが始まった。まだ特に今までと違った感覚を味わう経験はしていない。ただ、9月になったということで、ドメインを契約して、サイトをつくりたかったからか、夜中の1時すぎに目が覚めた。そこからずっと起きていて、今は7時32分。
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「巨匠」という名義はどうだろうか?制作物はどんなものをつくっても巨匠がつくったものになる。
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目の前の家でチェーンソーみたいな木の枝とかを刈るやつで伐採が始まってしまった。めちゃくちゃうるさくて、ストレスだ。少し疲れたから寝ようと思っていたのに。いつ終わるのだろうか。
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最近、セブンイレブンで売っている「品川巻」にハマっている。小さな丸い筒状のせんべい的なやつに海苔が巻いてあるやつだ。セブンイレブンのは、量が少ない割に200円ぐらいしてけっこう高い。
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A4の色バックにど真ん中にタイポグラフィでロゴのような感じでレイアウトするというフォーマットが多すぎるかもしれないなあ。でもそれ以外あんまりデザインできないし。こんな感じでしばらくはやってみよう。
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日記も毎日ではないかもしれないけど、継続的に続けてれば、言語化の解像度が高くなっていくのかな。多分だけど、自分の中の感覚の解像度とかも高くなるような気もする。ふと、あの時感じたことはこういうことだったのかなとか、現在のことを書いていても過去の思い出とかが蘇ったりするから、時間感覚の解像度も高くなるかも。
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例えば、僕のプロジェクトの中に、「今世界のどこかで休憩をしている人に向けて拍手をする」というパフォーマンス作品がある。前にAirkのレジデンスでのトークイベントのときに、僕の活動だと強度が出しにくいんじゃないかと言われたけど、さっき述べたパフォーマンスのような手軽にできるけど発想がナンセンスみたいな強度もあるのではないか、とちょっと今更ながら思った。
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坂口恭平が「お金の学校」という本の中で、稼いだお金は銀行じゃなくて、金庫業をやっている人に、金庫に現金で貯めていると書いていて、それも一つの資本主義に対する抵抗だなあと思った。僕の場合、銀行に預けちゃっているけど、銀行は貯金のお金を企業に融資して、資本主義を稼働させているわけで、自分たちのお金がそのまま残っていて、それを引き出しているわけではないんだよなあ。
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僕のこの日記の場合、自分が経験したことについて述べるというより、自分が今考えていることのメモに近い。
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日記が将来蓄積すれば、それがそのまま自分にとっての巨大な外部の思考装置になる。大事なのはこの外部化ということ。ある種別名義も外部化の手段の一つかもしれない。
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ただ単に外部というだけでなく、内 → 外 → 内 → 外 → 内……という循環になれば、それは哲学者アンディ・クラークとデイヴィッド・チャーマーズの1998年の有名な論文「The Extended Mind(拡張された心)」のようになるのではないか。「拡張された心」は、僕は読んだことがないが、ノートなどの外部媒体が単なる補助道具ではなく、条件によっては認知システムそのものの一部として考えられるのではないか、と論じたもの。日記を何十年も書き続けられるなら、「頭蓋骨の外に巨大な思考領域を増築していく」ようなものとしても捉えられないか。
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「思考のニューバビロン」という言葉を思いついた。ニューバビロンとは、オランダ人のアーティストでシチュアシオニスト・インターナショナルのメンバーの一人コンスタンティン・ニューウェンホイス(Constant Nieuwenhuys, 1920–2005)が、「労働から解放された人間が、遊びながら世界そのものを作り変え続けるための都市」を、約20年間にわたって構想し続けた壮大な作品。ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』から強い影響を受けて、考え出された。「巨大な構造物が柱によって地上から持ち上げられ、その内部には複数階の巨大な空間が広がる。セクター同士が接続され、それが最終的には地球規模のネットワークになっていく」らしい。日記とはスケールが全く違うけど、「思考のニューバビロン」というのはいい言葉だなと思った。
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「思考のニューバビロン」を実現する一つのアイデアを思いついた。将来的に蓄積されるであろうこの日記のそれぞれの断片をランダムに並び替えて表示するというもの。ウェブサイトとかでできたらいいな。
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僕の「Cream Soda Museum」も何十年も続けていれば、ニューバビロンのように美術史に残るのかな。残ることを目指すと目標になってしまうから、アイデアがつまらなくなる可能性がある。だから、あんまり考えなくていいかな。
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今日はまだVOCA用の作品を制作していない。やらなくちゃと思うとなかなかできない。あと、メールも返信しなくてはいけないのだが、これもなかなかできない。それと、Cream Soda Museumのインスタの投稿もなかなかできていない。
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壮大なプロジェクトが好きなのかもしれない。壮大なプロジェクトを考えるとワクワクする。そして開始してしまう。でも、僕が構想する壮大なプロジェクトはどれもCream Soda Museumに回収される運命なのではあるが。
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今の須賀川の家であるポストアーティストの川童タカヒコの色々な部分をスマホで撮影するシリーズをやろうとしている。自分の生活を記録するということなのだが、どうやったら面白くなるだろう。
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「写真言語」というのはどうだろう。やや解像度の低いアイデアだけど、一枚の写真というものを、言葉のように考える。つまり、何回も同じ写真が反復的に出てきたり、一回しか出なかったり、それがリニアに並べられる。普通写真展などに行っても、全く同じ写真を二枚とかは展示しない。けれど、このプロジェクトは、出てきたりする。写真言語じゃなくて、何かもっと具体的でいい言葉はないかな。
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カレーライスギャラリーでCream Soda Museumを現在展示しているのだが、見てもらう人に発信する手段が今のところSNSだけになっている。DM的なものをつくって、前にCream Soda Museumのポストカードを送ったみたいに全国の美術館などに送るというのはどうか?とりあえず、平岡さんの文章は読んでもらいたいから、来年の4月以降に送るというかたちで。