2026_08_28
僕の活動は、ある意味自閉的だと言える。というか、かなり。でも、それは必ずしもつまらなさに繋がるとは思っていないし、むしろそっちの方が面白いと思っている。SNSの影響なのかなんなのかわからないけれど、社会的なインパクト自体がいろんなところで可視化されてしまって、そのいいね数自体が価値に思わされてしまうところがある。
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2025年にXを辞めたのだが、ログをとったつもりだったが、よく分からなくて見れないということになってしまった。今思えばスクリーンショットとか大事だと思うポストをコピペとかしておけばよかったと思う。ふと、日記を書いていて思い出した。
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何日か前からインスタのフォロー数を減らしている。すると不思議でインスタへの執着のような中毒性も少し減ったように思う。というか、むしろ嫌気がさした。本当に自分にとって重要な情報ってそこまで多くはなくて、やめてもいいぐらいに考えておいた方が気が楽になるかもしれない。
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SNSと違って、日記という形式は、どれだけ書いても、人に多くてうざいと思われる心配がない。そのことでどれだけ気が楽になるか。
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今度、郡山のジュンク堂に頑張って行ってみよう。少し、アウトプットが多すぎて、インプットの量が減ったせいか、ネガティブになっている気がする。アウトプットというのは、自分と直結しているから、責任も伴うし、疲れる。対して、インプットというのは、責任は他者にあるのでそこまで、読むという責任はあるかもしれないが、気負いしなくて済むというのはあるかもしれない。でも、統合失調感情障害の薬の副作用のアカシジアで足がむずむずしてじっとしてられないので、本が読めない。まあ、でも本屋で人文書をながめてみるのはいい気晴らしになるかもしれない。
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自分の活動は自閉的といっても、確実に、美術史のコンテクストとか現代思想や人類学の影響を受けてアイデアが錬成されている。ただ単に、人と関わっていないからといって、自閉的というのは違うとは思う。
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最終的にどうやったら美術界側から着目されるか。一人の気の狂った人間がつくり出したアウトサイダー・アートというだけにとどまらずに、美術史的価値をどのようにして認めさせるか?これは、制度との接点を減らしていけば行くほど難しい問題ではあると思う。
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自分の考えていることとか感じていることを言語化することは、自分自身の精神衛生上もいいのかな?どうなんだろう。作品もつくりすぎるのは精神的に負担だし、言語化もしすぎるのは良くないと思うけど。
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昨日、友達と電話をしたのだけど、その友達は、地方都市の都会に住んでいて、アートシーンがあるというか、そのアートシーンの中で、活躍していて、外向きというか、活発に活動しているらしい。それを聞いていて、嬉しいところもあったけど、対照的な僕の引きこもりの状況やSNSであまりいいねされなくなったことなど色々なことを考えてしまい、後になって精神的に落ち込んだ。