2026_09_20
エリアス・ヴァルガの《Another God Project》について考えてみる。「作品」として「この世に存在しない神」として、成立するには、どうしたらいいだろうか。まずは、神との関係についての一文をさまざまな中村悠一郎の別名義が書く、というのはどうだろう。
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エリアス・ヴァルガの《Another God Project》もそうだし、トマス・エスカランテの《サーモン》もそうで、やはり断片的なテキストを集合させることで、帰納的に何かコンセプトを立ち上がらせるというやり方は好きかもしれない。
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そう考えると、そもそも《Cream Soda Museum》自体も、断片的な作家の集合体でできていて、帰納的に、「作者性の問題」という問いを立ち上げるような構造にはなっていると思う。
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生成というのは、最近の一つのキーワードとなっているかもしれないな。いろんなアイデアメモとか日記に出てくる。
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じゃんけんで決めたアートパワー100というアイデアを考えた。《Art Power 100: Decided by Rock-Paper-Scissors》というタイトルはどうだろう。雑誌を発行しているメディアとそれを創立した個人でアーティスト。
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アーティストの批評文を踊ることで表現する意味のわからない批評家でありアーティストの名義があってもいいかもしれない。
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最初、キャロットランゲージで批評文を書こうかなとも思ったけれど、キャロットランゲージはAIを使うから、VOCA用にはあんまり良くないかなと思い。
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中村悠一郎の別名義のアーティスト名と直線のみでダイアグラムをつくるキュレーターでアーティストの名義というのも思いついた。キュレーター名義がVOCA用にいないので。
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やっぱりせんだいメディアテーク主催の大縁会は行けないかもしれない。人が多いところが苦手なので。ポートフォリオのステートメントだけ更新しようかな。
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デスクトップがデータでかなり散らかってきた。そろそろ、整理しなくてはいけない。
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山田秋歌の「意味のわからない批評文」もいくつか書かないといけない。そうしないと、風島りさという山田秋歌の引用をしている次の批評家にいけない。
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最近、ハイペースでVOCAを進めているので、今日はスローペースにしようと思う。あまり頑張りすぎるのは病気によくないので。
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基本的に僕は、引き込もってはいるけれども、外には出ることができるし、セブンイレブンとツルハドラックなどに買い物もできる。散歩もできる。意外と引きこもっているのも制作に集中できて、楽しいっちゃ楽しい。
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具体的にどうすればいいかわからないけれど、架空の言語を用いて記述する中村悠一郎の別名義のみの美術史家とかいてもいいかもしれない。何かのヒントになるか。
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去年、神戸のレジデンスAiRKでのオープンスタジオのときに、C.A.P.のメンバーでアーティストの山下和也さんに、こういう試みはアーティストの扱いが大事だよ、的なことをおっしゃってくれて、確かに最近やっていることは、扱いの問題をやっているなと思った。
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「Neruva tal mi Y・N, sorak pel Cream Soda Museum. K・I venora 2025, mi falen doruk…」みたいなアルファベットのみを使って、記述するという架空の言語を用いた美術史家。アルファベットなので、日本人からすると一見何かほんとに存在する言葉なのかも、とちょっと思わせる。
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《ペルプンパの森》のように引用のみによって構成されるテキストを批評に応用できないか。批評家として、テキストを発表するが、そのテキストは全て引用のみによって、成り立っているとか。
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アイデアを考えている時間というのが実際の制作の時間とかアップするタイミングとかよりも長い方が安心する。僕はわりと早い方だけど、アップするタイミングが早すぎると何だか気持ちわるい感じになる。何もしていないのではなく、寝かせるということ自体に意味はある。
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とりあえず、ジャック・ラカンの3つの界をアーティストランスペースの3つのスペースに応用するというアイデアは保留にして寝かせる。
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中村悠一郎の別名義の全てのリストとかがあってもいいかもしれないな。VOCA用だけでないイライアス・ロークの《Art Power 100: Decided by Rock-Paper-Scissors》をやってみるためでもあるし、確認しやすくするためでもある。
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正直言うと、あまり発信に興味がないが、それをもっと言語化してみると、アート関係者に向けて発信することには興味がある。誰でもという一般層に向けて発信することに興味があまりないだけで。それは、わかってもらえる人にわかってもらえればいいという、ある種のスノビズムなのかもしれないけれど。
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一貫性という言葉についてもっと言語化したい。作風的な目に見えてわかるスタイルとしての一貫性のようなものと、僕みたいに、コンセプトとかが一貫しているということの一貫性。この二つが同じ言葉で語られているから、ややこしくなる。
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ここらへんのことをChatGPTに相談してみた。そしたら、様式的一貫性(stylistic consistency)と問題系的一貫性(problematic consistency / consistency of problematics)という言葉を返してくれた。確かにこの言葉は的確に僕の言いたいことを表している、ともいえる。
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もっと、さらに言語化すると、映画監督に例えられないか。前者の様式的で視覚的に一貫している映画監督として、ウェス・アンダーソン。後者の思想やコンセプトが一貫していて、ジャンルや視覚的な要素が一貫していない映画監督として、スタンリー・キューブリック。前者は他にも小津安二郎やティム・バートンなど。後者は、スティーブン・スピルバーグやクリストファー・ノーランなど。こういった例えはわかりやすいのではないかと。
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結局、あまり福岡壱海の《千年ワークショップ》はできていない。というより、2025年一年はまあまあできていた。けれども、2026年に入ってからは、人と関わることが少し怖くなってしまったというのもあって、できなくなってしまった。千年続くというコンセプトだけど、2024年から2026年だから3年しか続かない可能性もある。それか、最近やっているように、限定性を高めていくか。あるいは、もう一人でやってしまうか。
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もう自分一人の別名義で自閉的に、いわゆる人と何かやる系のことをやってみる、というのも逆転現象が起きていて面白いとは思う。もうすでにやってはいて、代表的なのに、川童タカヒコの《一人ワークショップ》とか。福岡壱海として、《千年ワークショップ Ⅱ》とか《Fukuoka Ichika Commons Ⅱ》とかにして、こっちは自閉的にやってますよ、とわかるようにするというのもありかもしれないな。
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あるいは、名義を変えて、《千年ワークショップ Ⅱ》とか《Fukuoka Ichika Commons Ⅱ》的な内容のことをやるとかもいいけれど。
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《Cream Soda Museum Observatory》というのもいいかもしれない。メタ的なデータとして、《Cream Soda Museum》がいつ、どれが更新されたか、ということをアーカイブする機関として。後々、アーカイブとして将来の研究者のために、機能していくように。この機関自体が名義なのではなく、誰か所長の名義を立てようと思う。ただ、どうやってデータを《Cream Soda Museum》にアーカイブしたらいいかわからない。
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一人で複数の別名義でできるワークショップのことを考えていたら、《写真会話(仮)》というのを思いついた。スマホなどで撮影された写真を、チャットで送るように、一枚か何枚か、相手に送り、それを見てまた写真を送り返す。これも、普通他の人とやるべきだとは思うけれど、自分一人でやってみる、というのもいいかもしれない。
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アーティスト交流会というのもいいかもしれない。中村悠一郎の別名義の中から、ランダムに選ばれた20名の作家が招待される。そして毎回ちょっと変わった名前の交流会のタイトルをつける、とか。アーティスト交流会というダサさが逆にいい。
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その交流会のタイトルを考えたい。ノア・カジワラによるオンラインアーティストランスペース《It Must Be Too Late》ではじめてやった3つの展示のタイトル「隣の犬が吠える」「移動しない場合」「自然な言い方」こんな感じのノリのタイトルにしたい。「少しだけ違う」「同じとも言える」「期待はしていない」「特にありません」「水を下さい」とか。