2026_09_22
日記を書くことによって、作者である自分と、観察者である自分というのが、少しずつ分裂していく。この分裂性というのが、僕の日記の本質的なところでもあったりするのかな。
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分裂性というのは、けっこうキーワード的な感じがしていて、そもそも別名義という、分裂するという行為そのものを作品化しているわけで。《Cream Soda Museum》という加速器がそれを加速させている。
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エリアス・ヴァルガの《Another God Project》に直接的に関係するとは思うのだけれど、「神」についてのリサーチをするのに興味はある。
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哲学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドから派生したプロセス神学というのがあるらしい。「神を「完成していて不変な絶対者」としてではなく、世界との関係のなかで生成し続ける存在として考える。」というもの。けっこう興味がある。生成という僕の一つのテーマともかなり繋がる気がする。
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プロセス神学だけじゃなくて、神学全般的にけっこう面白いと感じる。否定神学とか。グノーシス主義とか。
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働いていて、社会的に活動している人たちが普通という感覚はもちろんあるのだけれども、そういった普通であることに対して、僕のように働いていない、病気があるなど、普通ではないということとのギャップの気持ち悪さのようなものはずっと感じていて。どっちが良いとかどっちが悪いとか、そういう問題ではなく、例えば、自分自身のことがSNSとかで認められないというじれったさと近いかもしれない。
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「社会によって可視化されやすい生」と「社会によって可視化されにくい生」ともいえるかもしれない。僕自身のやっていることというのは、社会によって可視化されにくい生という。一方で、「普通」に生きている人たちは、社会的に可視化されやすい。その可視化されにくさ、というのは、消そうとして頑張るのではなく、自分の中の違和感として持っておくというのは大事かもしれない。
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作品として作者をつくっている、というスタンスを明確にするには、《》を全ての作者に当てはめる必要性がある。
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数を目的化するのは、そんなにいいとは思わないけれど、とりあえず、今後の目標として、1000という数の別名義の作者をつくりたいなと思う。
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PARADISE AIRの発表のときに、終わった後、キュレーターの岩本さんに、こういうことはいずれ行き詰まると言われ、それ以来、ビクビクしているが、当分は行き詰まりそうにはない。それは、別名義という手法はあくまで手段であり、「作者とは何か」という問題を考えていく上で、ポストアーティストや制度そのものがアーティストになったり、架空都市がアーティストになったり、色々、人間ではないアーティストも含まれているからかもしれない。
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あとは、重要なのに、展示というメディアで発表することがメインではなくなったというのも大きい。展示では、自分という人間がどうしてもエージェンシーとして働く必要性がある。対人関係が必要だからである。それに対し、ウェブサイトというメディアがメインになると、自分→作品という直接的な関係性になるので、人を介する必要性がない。ここがポイントかもしれない。
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とりあえず、行き詰まるまで展開し切ってみる、ということも大事かもしれない。その間に、実際につくった作品とか名義という遺産が生まれる。そこから何かアイデアを引き出せるかもしれない。
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もうすぐ、日記をつけ始めて、30日になる。意外と長く続けられているな、と思う。斎藤環さんの『イルカと否定神学 対話ごときでなぜ回復が起こるのか』にもある通り、言語化というのは切断的でもあって、否定神学的でもあって、精神的に良いともいえる。直接、日記が精神的な状態に影響しているとは断言するのはまだ早いが、いい影響はおよぼしているかもしれない。
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ワードプレスで画像を拡大できるようにする方法を初めて知った。《Yuichiro Nakamura Ideas》のアイデアメモは少し文字が小さくなるから、全て拡大できるようにしたい。全部設定するのは骨の折れる作業なので、ゆっくり日にちを遡るようにしてやろうと思う。
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今日は、台風一過でめちゃくちゃ晴れている。こんなに晴れているのは久しぶりだ。あとで、おやつを食べたら、外にスマホで写真を撮影しに、街を散歩しようか。
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もう、時間が遅くなってしまったので、今日は散歩はいいか。けっこう最近たくさん写真は撮ったので、大丈夫かと。
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《フューチャーマヨネーズ》用に、《蓮間有一郎》と《カンヅメコノミー》による、《缶詰デモクラティックバンク》についての批評文を試しに書いてみた。なかなかいいんじゃないだろうか。誰も既存の哲学者とか人類学者とかの固有名詞は出していない。それでも、まだレベルは低いけれど、引用することはできるようになっている。あとは、美術批評家の名義をつくる作業があるが。
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《隅田孝太》とか、どうだろう。
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サイトのデザインは、本文の文字を大きくしようかなとちょっと思っている。中村悠一郎のウェブサイトのステートメントのように。
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やっぱり、《フューチャーマヨネーズ》は、《長澤真莉》と《今福花梨》と《政岡律人》の3人によって設立、運営がされているという設定にしようか。なんとなく3人だとドメイン「.org」を使う必然性が出てくる。
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あと、批評を書くとしたら、あと《Y・N》とかも書きやすいかもしれない。2024年の8月ぐらいに、一回セルフでインタビューをしたテキストがあるから、参考がてら、もう一回読んでみようか。
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あとは、《フューチャーマヨネーズ》の中にある複数のメディアについても考えないといけない。そもそも批評のサイトに複数のメディアがコンプレックス的に存在することに意味はあるのか?むしろ一つの方がいいかも、とちょっと思い始めた。
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批評を書くために、言語化するのに、AIを利用したくなる気持ちになるのだが、なるべく頼りたくはない。リサーチとかで十分頼ってしまっているので。短絡的で未熟でもいいから、自分の言葉(僕の場合たくさんの別名義がいるけど)で、書いていきたい。そもそもクライアント的な存在がいる批評ではないので、別に未熟でも自分しか損はしないので。
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そうか、やっぱり複数のメディアが一つのサイトの中にある方がいいな。というのも、別のメディアに書かれていた批評文の一部を別のメディアの批評文に引用する、ということをそもそもしたかったので。10個ぐらいつくってもいいぐらい。まだ、そんなにはつくらないけれど。
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《フューチャーマヨネーズ》は批評文による、「批評生態系」のような感じになっていけばいいなと思う。《Cream Soda Museum》と接続して、アートワールドの一つの言語的な機能として機能するようになってほしい。
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本などの外部の文脈から、引用しないという縛りは、ちょっと安心感があるというか。本を絶対読まないと書けない文章にしなくていいんだという。
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ちょっとこの《フューチャーマヨネーズ》のプロジェクトは足を踏み入れてしまうと沼ってしまいそうだし、時間を取られてしまいそうなので、VOCAの提出が終わってからにしようかな。どうしようかな。
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VOCAの提出が終わったら、《It Must Be Too Late》も本格的に稼働していきたい。《It Must Be Too Late》でオンライン展示をして、《フューチャーマヨネーズ》で展覧会評を別名義の批評家が書くという感じで共犯関係になっていく。そうしたら、言語ゲームのような感じで《Cream Soda Museum》がどんどん活性化していく。
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結局Y・Nのインタビューは読まないで、ノリで批評を書いてしまった。でも、まずはこんな感じというイメージが掴みたかったのでよしとしよう。