2026_09_24
松本卓也『人はみな妄想する』も欲しいけれど、『斜め論』も欲しいなあ。でも、一気に2冊はちょっときつい。
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スポティファイでJeff Parkerを聴いている。この独特のリズム感は、最初聴いたときはそこまでピンとこなかったけれど、すごい人だなと思う。全然違うけれど、セロニアス・モンクとかとちょっと外しの感じは似ている。
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昨日は、19:00過ぎに寝て、23時すぎに一回起きて、そのまま5時ぐらいまで起きていた。《Yuichiro Nakamura Ideas》のアイデアメモを音楽聴きながら書いていた。
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長澤真莉の《フューチャーマヨネーズ》に出てくるメディアのHYPER DORPHINに執筆している隅田孝太、先に帰った人に執筆している今福花梨、地球とスパゲッティーに執筆している本間結希、政岡律人、Around Here, I thinkに執筆している鯖江椛を《Cream Soda Museum》にアップロード。まだ、個々のページはつくっていないけれど。
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今日は、VOCAを進めたい気持ちもある。できるかなあ。時間はたくさんあるのだけれども。
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名義同士が関係するようなプロジェクトをやる「芸術生態系」的名義に必ずしもこだわらなくてもいいのではないか、とちょっと思えてきた。普通に、思いついたことをただそのままやればいい。別に、VOCAの賞とかも狙ってないし。
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SNSをやめてから、今まで以上に頻繁にメールアプリを開くようになった。やはり外部からの新しい情報というのが欲しいんだな。別にそんなに頻繁に見る必要性はないんだけども。
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《Yuichiro Nakamura Ideas》のアイデアメモを書いたり、日記を書いたり、言語化によって、思考のエネルギーをためてから、作品を制作する。造形から作品をつくるのではない。最近の動向としては、そんな感じ。必ずしもというわけではないけれど、造形的な作品をつくるのは、お金がかかる。パネルとかで絵を描いてもいいけれど、写真に撮ったりとかがめんどくさい。
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《Yuichiro Nakamura Ideas》のアイデアメモをもっと書いてもいいかもしれない。いちいち、《Yuichiro Nakamura Ideas》のアイデアメモとかフルでプロジェクト名とか名義を書くのには、意味が二つある。一つは引用したときに何を意味しているのかわかるように。もう一つは自分の中で何度も反復することによって、立ち位置を強化するという意味。
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本がぜんぜん読めないのに、本を買いたいという衝動のようなものがある。お金を消費することによって得られる何かがあるような気がする。あとは、本を持つことは、ある意味思想を所有することでもある。内容を事細かく知らなくても、その本が「共有図書館」でどのような位置を占めているか知るということに意味がある。
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フェルナンド・ペソアが異名者として、厳密に人格の設定までしたという理由はわかるような気がする。文章を書くようになってから、文体というのは、自分の癖が出てしまいやすい。造形芸術だと、メディウムから、規定されるものが大きいから、そこまで人格のようなものを設定する必要性はないのかもしれない。
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朝9時を過ぎたので、アイスコーヒーを買いに、ツルハドラッグにでも行こうか。
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今日も一本ぐらいは、批評文を書きたいなと思っている。でも、昨日たくさん書いたから、別にいいかなともちょっと思った。
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ポストアーティストで、色彩そのものがアーティストのラネプとか、時間そのものがアーティストのフシスランコンサとか、そのあたりを書いてみる、というのもいいかもしれない。ポストアーティストとして、けっこう自分の中では重要な気がする。
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他の人の日記を読んでみたいと前に書いたけれど、結局全く読めていない。というか、どうやったら読めるのか。noteとか?最近はブログとかやっている人も少ないだろうし。noteあんまり好きじゃないんだよなあ。
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このぐらいで1600字程度か。意外と少ないな。
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トマス・エスカランテが記述している架空世界《サーモン》をウェブサイトにするという手もあるなとちょっと前から思っている。理由の一つに、架空世界という、けっこう大きな表現をできるというのと、それが《Cream Soda Museum》の内容とどことなく似通っていて、実際《サーモン》の記述に《Cream Soda Museum》に出てくることがかたちを変えて、出現することによって、名義同士の関係性をつくるという最近のテーマにも接続しうるからである。
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思考とコモンズをテーマにした《Fukuoka Ichika Commons》の発展形として、他者を介在させないで、作品として成り立たせるためのアイデアを考えようとしている。《千年ワークショップ Ⅱ》が今日誕生して、それは、生活そのものがワークショップ的実践として捉えるというもの。《Fukuoka Ichika Commons Ⅱ》は思考そのものが共有地であるコモンズとなりうるのでは、ということを考えているけれど、具体的なアイデアというのはない。もうちょっと寝かせてもいいかなと思っている。
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普通のアーティストは作品として成り立たせるレベルを上げてクオリティを上げていく、という方向性になっていくことが多いけれど、僕の場合、そうしてしまうと、名義の数がつくれない。良くも悪くも、「良いもの」という価値観で作品をつくっていないんだよな。どちらかというと、「なんか変」とか「実験的」とかそういう「面白さ」を重視している気がする。
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本の抜書は、VOCAの提出が終わってから、ゆっくりやりたいと思っている。やはりどこかでVOCAのことを考えてしまっていて、集中できない。なので、クレマン・ベンヴェニストの《ペルプンパの森》のサイトをつくるのもそのあとにしようかなと思っている。その間に、ちょっとずつ本を買い集めたいと思う。
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僕は、やることを増やし過ぎてしまうところがあるから、削るという思考もしないといけない。ミニマリズム。あとは、休むこと。
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ユーモアの一つの手法として、「間違える」ということがあると思う。「間違えた世界」つまり、そこには虚構性が生まれる。現実というはっきりしたものではなく、なんだかよくわからない、曖昧なもの。その「間違い」というのを作品とか名義にできないだろうか。というか、別名義の時点でだいぶ現実から間違えているのだが。
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クレマン・ベンヴェニストの《ペルプンパの森》は、間違えてはいけない世界、というのもやる気が出ない理由の一つかもしれない。中村雄一郎のこの日記は「間違い」と「現実」の中間ぐらい。トマス・エスカランテの架空世界《サーモン》は全て虚構だから「間違い」だらけ。
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日記を始めて、本当によかったなと思う。思考が貯蓄されていく感じがある。思考には少なくともちょっとは時間がかかるから、その時間が貯蓄されるという意味では、普通にただ生きているよりも、時間が長く伸びている。そういう感じがある。
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去年まで、オンライン英会話を習っていた。海外でも活動を将来したいと考えていたからだ。でも、今はもうその希望のようなものは、ほとんどない。引きこもっているし、飛行機とか人の多いところに行けなくなってしまったから、海外に行くことはほぼ不可能なのではと思っている。よく、アーティストが「世界に羽ばたく」みたいなキャッチフレーズを聞くけど、ほんとマッチョでやだなと思う。精神衛生的に悪いからやめてほしい。
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架空の大学とかを考えてみてもいいかもしれない。今まで、美術館、宇宙、架空世界、制度、言語などは考えてきたけど、そういう制度の中の大学というのは、現実の世界の中でも重要な位置を占めていると思う。美術大学でもいいし、普通に大学でもいい。まずは、美術大学のプロジェクトにするかな。これもウェブサイトでできたらいいなと思うけどどうだろう。
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結局、松本卓也さんの『人はみな妄想する』と『斜め論』の2冊をアマゾンで注文してしまった。こうやってお金がどんどん世界に羽ばたいていく。
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教授が学生からアートを学ぶ美術大学とかどうだろう。《Zero-Person Performance Art Festival》とか《一人ワークショップ》のような逆転性。さて、具体的にはどのようにそのアイデアを作品化していこうか。
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トマス・エスカランテの《サーモン》の様な短い断片的なノートの記述の仕方とかが参考になるかもしれない。
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《Yuichiro Nakamura Ideas》のサイトの2025年のアイデアメモを拡大できるようにする作業でもやるか。あまりやる気は出ないけれど。
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こういった地味な作業というのがどんどん苦手になってきている気がする。新しいアイデアを実験するのが楽しすぎるからに違いない。でも、のちのち効いてくるのは前者なんだよな。
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月に5万円ぐらい本に費やしたい気持ちもある。ちょっと高めに設定して、3000円とか4000円の本だと、12〜13冊ぐらい買えるっちゃ買える。
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家のすぐ近くにチョコザップができるから、ちょっとランニングマシンを試しに会員になってみたい気もする。それで、のちのち、ランニングマシン自体を自分で買って、家で本を読みながら歩くという。
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3784文字。意外と今日も書いたと思う。夜も暇だから、もうちょっと日記を書きたいと思う。
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何度か書いているかもしれないが、名義がありすぎて、制作のモチベーションのコントロールが難しい。新しい名義は比較的しやすくていいのだけど、ちょっとめんどくさい作業が必要な名義とかは、いつも後回しになっていく。新しい名義もどんどん思いつくし、さらに後回しになっていく。
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こうして、何度か書いていることをまた書いてもいいんだよなと思う。反復することは悪いことではない。そもそも、SNSと違って、読者にいいねしてもらうために書いているわけではないし、自分自身が見返したとき、「こんなこと考えてたんだ~」ってなるのが楽しいのと、あとは、現在から遠く離れて、未来の誰か研究者とかが読んだときに、思考の地層のようなものを発見してもらえたらいいなとは思っている。
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夏川りみの「島唄」を聴いている。この「島唄」は不定期だけど、よく聴いていて、無性に聴きたくなるときがある。今日だけで3回聴いた。もはや「島唄病」なのではないか、と思う。
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ああ、沖縄とか行きたいな。夏は流石に暑すぎると思うから、今頃の季節とかに行けたらいいのにな、と思う。でも、統合失調で飛行機とかに乗れないから、行けないんだけれども。
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今日は夕方昼寝をしたから、夜だけど、まだ眠くないな。いつも7時とか8時とかけっこう眠いんだけれども。寝るってすごい。
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《Cream Soda Museum》のプロフィールをテキストとして、収集し、並べ替え、プロフィールのみのキュレーションをするキュレーターの名義とかあってもいいかもしれない。《Cream Soda Museum》の並びの複数性を表現することができる。もちろん、キュレーターではあるが、アーティストの作品として。
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「ゆとりがなければ既存の秩序に従うしかなく、ゆとりがあればでたらめをつくることができる。」精神科医の中井久夫によれば、統合失調症でゆとりがない状態では、乱数(36289...などランダムな数字)をつくることすらできないらしい。確かに、統合失調がひどいときは、ゆとりがない。乱数はつくることぐらいはできるかもしれないけれど。この精神的余裕をいかにして、つくりだすことができるか、という問題はアートの本質に繋がるけっこう深い問題なのではないだろうか。
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同じく中井久夫によって、開発された「空間分割法」という決められた紙という枠組みの中をでたらめに分割して、色彩を塗ったりすることで治療する絵画療法の一つに影響を受けた、柳田希という名義もある。このように、ランダムさというのは、ゆとりであると同時に、心地よさをつくりだす機能性があるのではないか。
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確かに、僕は既存の秩序に従うことが大変苦手だ。VOCAの提出書類ぐらいでもヒイヒイ言っている。締切とか、相手に決められたフォーマットとか、もっというと何かしなくてはいけない、ということ全般的にやることが苦手である。展示というのも、自発的に企画したとしても、締切ややらなくてはいけないことだらけで、今までよくやっていたよなと思う。