2026_09_27
昨日は、楡木真紀のウェブサイト《楡木真紀》をつくっていたので(だいたい完成した)、今日はそのコンテンツをつくりたいと思っているが、できるだろうか。
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楡木真紀の《自由日記》をまた書きたいとは思っている。が、少し面倒なのが難点という。普通の制作に比べると、そこまで面倒ではないのだが。
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長澤真莉の《フューチャーマヨネーズ》でも、noteではなく、ウェブサイトで公開したので、楡木真紀の《自由日記》についての批評が書けるようになった。批評文の中に、真似してちょっとだけ《自由日記》を筆者が書くとかも面白いかもしれない。
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今週は、郡山のジュンク堂に車で連れて行ってもらおうか。最近本を買いすぎかもしれないから、見るだけでもいいので。
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よくみんな一年はあっという間というけれど、僕は意外と長いなといつも思っている。それは、そこまで忙しくないというのもあるし、記憶がけっこう残っているというのもあるだろう。
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中途半端にあまっていた《自由日記》があったから、それに追加して、楡木真紀のウェブサイトにアップした。2026年に入ってから、けっこう象徴体系化はされてきていて、例えば、クリスチャーノ・ロナウドとか有名人の名前とか、あとは食べ物の名前とかが、よく出てきている。そういったものは、言葉としての強度がけっこう強いというか、ナンセンスにしやすかったりする。
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須賀川という田舎にいても、現代美術のリテラシーというのは下げたくはない。まあ、そんなに簡単に下がるわけではないと思うが。そういった意味でも、本を追うというのは大事なことかもしれない。SNSもやっていないから、情報が遮断されているように思うけれど、全然そんなことはなくて。自分の中にも現代美術的感覚というのはあるし、本を集めることによって、その周辺というか、ただ展覧会を見にいくだけじゃない情報を得られるという感覚もある。そういう感覚を大事にしていきたい。
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今に対して、解像度を上げすぎると、きつくなる、ということが最近わかってきた。今というのは、きつい。世界情勢とか、単純に僕の病気の統合失調感情障害とか。だからSNSもきつかったし、松戸もきつかった。
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《Yuichiro Nakamura Ideas》のアイデアメモを一枚書いた。とりあえず、何やっていいかわからくなったら、こうして、手を動かして、何かアイデアが到来するのを待つ。最近は、何をしたらいいのかわからないということはあんまりなくて、色々逆にプロジェクトが多すぎることで困ることの方が多い。
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ペリカン・アーカイブの《Y・N MUSEUM》のアップか、中村裕一郎の《Yuichiro Nakamura Smartphone Photos》のアップか、どちらか今日はできたらいいな。両方でもいいけど、大変なので。
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不定期的でいいので、楡木真紀の《自由日記》を続けたい。ウェブサイトもあることだし、けっこう面白いプロジェクトではあるなと思うので。
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楡木真紀のウェブサイトに他の作品も2つアップしているが、《自由日記》だけとかにしてもいいのかもしれないなと、ちょっと思っている。その方が読者的には、集中できるという点もあったり。でも、広がりとしては、他の作品もあった方が楡木真紀という作家の理解が広がる。
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もう一枚《Yuichiro Nakamura Ideas》のアイデアメモを書いた。人類学者についてのリサーチなどについて。ほとんど有名どころが多いけれど。あとは、やりたいこととか雑記など。
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トマス・エスカランテの《サーモン》についての記述もいくつか。【ヒコイ地域の炎と対話する人々】、【パスー地域の休む練習について】など。最近は風習系が多い気がする。といっても、そんなにたくさん書いているわけではないんだけれども。
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VOCAは、やらなくちゃいけないのだけど、なかなかやる気が出ない。新しいことをどんどん試すということが、ある種のエネルギーになっているところがあって。それはそれであんまり良くないとは思うんだけれども。日常生活の中で、他に刺激というのがないというのもある。
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VOCAの作家を増やすのは、もうそろそろ終わりでもいいかなとも思っている。英訳のページなどもつくらないといけないので。けっこうこれが時間がかかりそう。
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もう一枚《Yuichiro Nakamura Ideas》のアイデアメモを書いた。雑多なテーマで。VOCAを終わらせたいとか、《サーモン》のサイトを来月つくりたいとか。